「好き」の差異から来る嫉妬という感情

「好き」とはなんだろう

しばしば、好きという感情は多種多様な状況で現れる。

しかしその時々の状況によっては全く異なる使われ方をする。

まずは「好き」という言葉の多様性を見ていくことにする。

好きという言葉の多様性

  • 可愛い動物が好き
  • あの人のことが好き
  • アイドルが好き

好きという言葉には主にこの三つが挙げられる。

 

一つ目はずばり「趣味に対する好き」であろう。

英語で言えばlikeが最も近いと言える。

 

では二つ目はどうだろうか?

二つ目はもちろんloveであろう。

 

さて、問題はこの三つ目、これはlikeなのだろうか?loveなのだろう?

つまり三つ目の「好き」は「like」と「love」の違いそのものを定義するために必要な問題提起となりうるのだ。

「like」と「love」の違い

まず初めにこれらを明確に区別している人がどれだけいるだろうか?

少なくとも私は区別している側の人間である。

つまりはごく少数ということになる。

 

さて、与太話はこれぐらいにして本題に戻すとしよう。

基本的なことだが、定義から始めよう。

一般的に「loveならばlike」は成り立つが「likeならばlove」は成り立たない。

仲の良い同性の友人は好きでも肉体関係を持つのは私に取っては不可能である。

 

つまりは「loveはlikeの発展系である」ことがわかる。

これで私たち人類は一歩先に進んだと思ってもらっても良い。

 

「loveはlikeの発展系である」ことがわかった今私たちのすべきことは一つである。

ここからはlikeであるという感情の境界線を引くことである。

「like」と「love」の境界線

ここまで定義できてようやく一般的な話に戻って来ることができた。

ここまで定義にうるさいのは私か数学者ぐらいだろう。

 

さて、ここで思い起こして欲しい。

「love」を感じる相手には何を思うか?

  1. その人を失うことへの絶対的恐怖
  2. その人から嫌われたくないという強い執着
  3. その人から好かれたいという強い承認欲求
  4. 自分自身と一緒に幸せになって欲しいという強い気持ち
  5. 性的魅力(しばしば勘違いされるがこれは愛の本質ではないが一部ではある)

これらを感じているのではないだろうか?

自分自身と一緒に幸せになって欲しいという気持ち」に関して綺麗事を抜かす輩もいるが、「相手だけは幸せになってほしい」などと宗教的な「love」は今回の議論の対象外である。隣人愛は「love」ではなくむしろ「like」に近い。

 

つまるところ、特定の相手にこれを感じたら「love」である可能性は高い。

必ずloveとは言えない、必要条件である。

しかし、もし自分の彼氏彼女が彼ら自身の好きなアイドルや歌手にこれらの気持ちを持っていたのだとしたら、それは不幸の始まりである。

今すぐ、自身の将来設計を見直そう。そのままで君は幸せになれない。

それは必要十分条件である。

特に性的魅力を感じている場合はショックであろう。

もし彼女がアイドルに対し、性的魅力を感じていたとしてもそれを言ってしまうような無神経な輩とはいない方が正解である。(ただし、これは持論であるため私のような論理思考の餌食になりたくなければ深く考え込まないことが一番である)

嫉妬心の登場

そのため、もし相手の自身以外の対象に対して「好き」という言葉を発したことにより、多少ムカついてしまった時は先ほどの項目を想像していないか聞いてみるといい。

無論、「love」の定義を多少広げることで相手の「like」の幅を下げ、自身を安定させる材料にしてもいいが、それは相手を脅すことにもつながるため、大幅な改変をしてしまえば、あなた自身が「love」の対象から外れてしまうこともあるため注意である。

 

最後に

好きが共存できるのは「like」と「love」があるからであり、「love」にはあって、

「like」にはないものがあった。

もし相手の「好き」の言葉に嫉妬してしまった場合、それが「like」であるか「love」であるかをしっかりと聞くことで自身を安心させることができるのではないだろうか?

「あ、それはloveではなく、likeなのか」と。

人間は「わからないこと」が大嫌いだ。

だからひそひそ話は嫌われる。

 

他にも、無論聞き方も重要であるが、超論理主義の私にそれを求められてもポンコツのため、役には立たない。

各自聞き方は相手を怒らせないように聞くべし。

自分の素直な気持ちを伝えるのもいいだろう。

「嫉妬しちゃうから聞くね、その好きっていう感情にこの項目は感じる?」

嫉妬をすることが悪いのではなく、相手の好き(この場合はlike)なものを否定することが相手を怒らせる原因である。

これら言葉の定義を曖昧にし、お互いの誤解から生まれる喧嘩ほど無益なものはない。

私たちには立派な大脳があるのだから過去の失敗から学べるだけのことは学ぶのが先決であろう。

以上が私なりの嫉妬論であり、自信を納得させるだけの傲慢な解決法である。